公害の概要
1968年(昭和43年)に福岡、長崎両県などで皮膚の吹き出物や体調不良を訴える人々が現れました。
最初の報道は10月10日。当時は原因不明で『奇病』とも言われました。
やがて、北九州市のカネミ倉庫が製造した食用米ぬか油が、鐘淵科学工業(現:カネカ)製PCBに汚染されていたことがわかりました。当時、PCBは製造が認められており、幅広い分野で使用されていました。
カネミ倉庫もカネカからPCBを購入し、米ぬか油の脱臭工程で使用しました。この工程でPCBが混入したとされています。
人的被害が拡大する直前の1968年初め、カネミ倉庫製の『ダーク油』を使った飼料を食べた鶏が、大量死する事件が発生していました。油症事件の前触れとも言えました。(注:ダーク油とは、カネミ倉庫が油症の原因である食用米ぬか油を製造する過程ででる副産物。)
その後、農林省(当時)はカネミ倉庫への立入検査を行いましたが、同じ工程で製造された食用米ぬか油を詳しく調べないまま、『食用油は安全』と誤った判断をしました。
さらに、食品衛生を担当する厚生省(当時)にも、事件について通報していませんでした。
もしも通報していれば、食用油の安全性を確かめたり流通した油を回収したりすることで、人的被害が抑えられたはずでした。
当時その汚染油を摂取した被害者は健康被害や差別に苦しみました。汚染油を食べた被害者だけではなく、その子や孫にも影響が現れており、今もなお健康被害に苦しんでおります。