公害と施設の概要
立教大学共生社会研究センターでは、1960年代以降、日本・海外で展開したさまざまな市民活動のさまざまな記録を保存・整理・公開しています。公害資料館ネットワーク参加館の所蔵資料と共通した特徴を持つものとしては、千葉川鉄公害裁判の記録があります。
千葉市沿岸部は、現在では幕張新都心が整備され、幕張メッセや球場、商業施設などが有名ですが、かつては遠浅の海岸を利用した漁業が盛んで、風光明媚な避暑地としても知られた地域でした。
第二次大戦後、千葉市を含む千葉県の東京湾沿岸部は次々と埋め立てられ、京葉工業地帯の造成が進められました。1950年に千葉市が川崎製鉄を誘致したことで、他の市町村にも企業が進出し、千葉県はめざましい発展を遂げることになります。川崎製鉄が進出した千葉市においては、1960年から1970年の製造業従事者の割合が最も高くなりました。
しかし、急速な工業化は弊害をもたらします。川崎製鉄の周辺(現在の千葉市中央区の沿岸部)に住む住民に健康被害が見られながらも、1975年に当時の千葉市長は六号高炉建設を許可しました。これが端緒となり、健康被害の訴えとともに「あおぞら裁判」がはじまりました。原告は、差止め原告125名(一審判決時)と60名の患者原告らで構成されており、患者原告らは喘息や気管支炎などに苦しめられていました。その様子は、証言や記録から切々と伝わってきます。原告団長自身も症状に見舞われながらも、大気汚染簡易測定法をもちいた測定を地元高校生と共におこなったり、汚染の様子をあらゆる方法で記録したりと奔走していたことが資料からうかがえます。
裁判は1988年に原告の勝訴となりましたが、控訴審に持ち込まれ、1992年に双方の和解というかたちで幕を閉じました。
この資料館だからこそ学べる特徴について
・大気汚染公害とその裁判だけではなく、国内外の様々な公害・環境問題に対する市民の活動が生み出した資料を幅広く所蔵しています。
・資料に関するどんなご相談にも応じますので、お気軽にお問い合わせください。他館への紹介も可能です。