Tag Archives: 水俣病

TOP >  各地の公害資料館 >  新潟県立環境と人間のふれあい館 -新潟水俣病資料館-

新潟県立環境と人間のふれあい館 -新潟水俣病資料館-水俣病

新潟県立環境と人間のふれあい館 -新潟水俣病資料館-

新潟水俣病と施設の概要

新潟県立環境と人間のふれあい館1排水口
新潟水俣病は、1956(昭和31)年に熊本県水俣市で最初に発見された水俣病から、9年後の1965(昭和40)年に、新潟県の阿賀野川流域で患者が確認され、第2の水俣病とも言われています。

新潟水俣病は、河口から約60km上流の昭和電工(株)鹿瀬工場の排水に含まれていたメチル水銀や無機水銀(排出された後、細菌の働きによりメチル水銀に変わる。)に汚染された魚介類を長期間、多く食べたことによって起きた神経系の病気で、被害者がわが国初の本格的公害裁判を起こすなど、阿賀野川流域で最初の患者が確認されて現在に至るまで、この地域に深刻な影響を及ぼしています。

その間の救済対策として、「公健法」に基づく水俣病患者の認定、さらに水俣病総合対策事業が開始され、同地域における健康上の問題の軽減が図られていますが、偏見や中傷を受けたり、苦しんでいる被害者の方々が、いまだにいらっしゃる現状があります。

新潟県では「新潟水俣病地域福祉推進条例」を制定し、新潟水俣病患者の福祉の増進や、新潟水俣病発生地域の再生と融和などを目的とした様々な施策を進めるとともに、県立環境と人間のふれあい館を拠点とした新潟水俣病の経験と教訓を後世に伝える取り組みを行っています。

この資料館だからこそ学べる特徴

新潟水俣病と水環境をテーマにした施設です。新潟水俣病の経験と教訓を後世に伝えるとともに、水の視点から環境を育み、公害の根絶と環境保全の重要性を認識していただきたいと考えています。

「新潟水俣病被害者のお話し」、「展示の案内・説明」、「水の実験」などのプログラムを用意し、学習や研修・講座の目的、滞在時間に合わせたプランを提供します。

TOP >  各地の公害資料館 >  一般社団法人あがのがわ環境学舎

一般社団法人あがのがわ環境学舎水俣病

一般社団法人あがのがわ環境学舎

新潟水俣病の概要

◆阿賀野川を襲った高度経済成長の影

環境学舎1
昭和40年に新潟県阿賀野川沿岸での発生が公表された新潟水俣病。阿賀野川上流域の旧鹿瀬町(現阿賀町)で操業していた昭和電工㈱鹿瀬工場が、阿賀野川に流した排水中の有機水銀が原因となって引き起こされた公害でした。

当初肥料を製造していた鹿瀬工場は昭和30年代に入ると有機化学分野に傾斜し、高度経済成長期の日本社会が必要とした合成樹脂や酢酸の原料となる「アセトアルデヒド」の製造に注力します。その製造過程で使用された触媒から副生される有機水銀が排水溝から阿賀野川に流れ出た後、食物連鎖を通じて生物濃縮され、最終的に川魚を日常的に喫食していた沿岸住民に高濃度で蓄積されていきました。

◆失われた「人と人の絆」「人と自然の関係」

環境学舎2

こうして当時、日々の労働や食生活など阿賀野川と共に生きてきた沿岸住民ほど深刻な健康被害を受け、手足の先のしびれなど四肢の感覚障害を主とした症状に苦しむ人々は今なお大勢います。

さらに、かつては周囲の偏見・中傷もひどく地域の絆が損なわれた上に、阿賀野川の自然の恵みが汚されたことで、人々が川から遠ざかる一因にもなりました。公害の記憶が思い出されるため、現在でも「阿賀野川ブランド」という言葉の使用をためらう人も少なくありません。

四大公害の中では最初に裁判が提起されましたが、現在に至るまで訴訟は繰り返され、新潟水俣病問題は阿賀野川流域で今なお継続しています。

この団体だからこそ学べる特徴

環境学舎3

  • 新潟水俣病問題が今も続く阿賀野川流域の地域再生を目指す団体で、これまで「阿賀野川流域地域フィールドミュージアム事業」の企画運営などを担ってきました。
  • 公害関連含む阿賀野川流域の膨大な史料を基に制作したパネル・映像作品などを通じて、公害問題を含む流域全体の歴史・文化を俯瞰的に理解できます。
  • なぜ新潟水俣病が発生してしまったのか、その発生経緯を社会背景や企業側視点も含めて学べる公害学習プログラム(有料)なども提供しています。
TOP >  各地の公害資料館 >  一般財団法人水俣病センター相思社 水俣病歴史考証館

一般財団法人水俣病センター相思社 水俣病歴史考証館水俣病

一般財団法人水俣病センター相思社 水俣病歴史考証館

熊本水俣病の概要

水俣病は、日本の化学工業会社のチッソの熊本県水俣市にある工場が不知火海に流した、メチル水銀が含まれた廃液により、魚介類が汚染され、それを食べた地域住民が健康を冒された公害事件です。1956年(昭和31年)に公式に発生が確認されました。日本の高度経済成長期に発生した四大公害病の一つであり、「公害の原点」ともいわれています。

メチル水銀の廃液は1932(昭和7)年から1968(昭和43)年まで、36年の長きに渡り流され続けました。とくに原因が工場廃液にあると確認された1959(昭和34)年以降も措置がとられず、水俣市周辺だけでなく不知火海沿岸地域(山間部を含む)にわたってたくさんの患者が発生しました。メチル水銀は、脳などの中枢神経を破壊するだけでなく、内臓にも影響します。濃厚汚染により、短期間に死亡した例や母親の胎内で被害を受けた胎児性水俣病、長期に汚染を受けた慢性水俣病もあります。これまでに熊本県と鹿児島県とでおよそ8万人以上の方が症状を訴えています。

この資料館だからこそ学べる特徴

猫実験の小屋

ネコの実証実験をした小屋や、患者運動の中で生まれた「怨」の文字が抜かれた黒旗、水俣湾に堆積した水銀ヘドロの一部、水俣湾に張られていた仕切り網、石牟礼道子氏の「苦海浄土」生原稿などの実物の展示が多いことで、感性が刺激され、被害者の側から公害事件が語られているので、行政の運営する資料館では得られない知見があります。また、職員の展示解説中の意見交換も目玉です。

 

TOP >  各地の公害資料館 >  熊本学園大学 水俣学現地研究センター

熊本学園大学 水俣学現地研究センター水俣病

熊本学園大学 水俣学現地研究センター

水俣病の概要

水俣病はチッソ水俣工場排水に含まれていた有機水銀による公害である。工場排水が環境汚染するだけでなく、食物連鎖によって魚介類によって濃縮され、それを食べた猫や人に被害が発生した。世界でも類のない環境経由による公害である。1956年5月に人への被害が公式確認された。水銀汚染は不知火海全域に拡散、行商等を通じ山間部でも、汚染魚を食べた人たちに、広範囲に水俣病被害が発生した。被害者は約20万人及ぶ。
 1973年一次訴訟判決で、原因企業チッソの補償責任が確定した。その後、2004年関西訴訟最高裁判決で熊本県、国の責任が認められたが、水俣病被害に関する補償、救済が十分に行われたとは言い難い。水俣病患者の認定制度で、補償された患者は約3000人。1995年の政治和解、2007年の水俣病救済に関する特措法による救済制度によって、約7万人が救済されたが、現在も被害を訴えて訴訟や認定請求を進めている被害者が多数存在する。今なお、被害が継続している公害事件である。

この資料館だからこそ学べる特徴

1960年代末に、「恥宣言」をし、水俣病患者の支援活動に取組んだ新日本窒素労働組合(水俣病原因企業チッソ(株)の企業内労働組合)の活動記録資料を労働組合の解散時に、寄贈を受け、整理、データベース化作業を進めている。資料目録は当センターホームページで公開している。また、資料画像や写真画像など順次ホームページに公開している。

TOP >  各地の公害資料館 >  熊本学園大学 水俣学研究センター

熊本学園大学 水俣学研究センター水俣病

熊本学園大学 水俣学研究センター

水俣病の概要

水俣病はチッソ水俣工場排水に含まれていた有機水銀による公害である。工場排水が環境汚染するだけでなく、食物連鎖によって魚介類によって濃縮され、それを食べた猫や人に被害が発生した。世界でも類のない環境経由による公害である。1956年5月に人への被害が公式確認された。水銀汚染は不知火海全域に拡散、行商等を通じ山間部でも、汚染魚を食べた人たちに、広範囲に水俣病被害が発生した。被害者は約20万人及ぶ。
 1973年一次訴訟判決で、原因企業チッソの補償責任が確定した。その後、2004年関西訴訟最高裁判決で熊本県、国の責任が認められたが、水俣病被害に関する補償、救済が十分に行われたとは言い難い。水俣病患者の認定制度で、補償された患者は約3000人。1995年の政治和解、2007年の水俣病救済に関する特措法による救済制度によって、約7万人が救済されたが、現在も被害を訴えて訴訟や認定請求を進めている被害者が多数存在する。今なお、被害が継続している公害事件である。

この資料館だからこそ学べる特徴

1960年代末に、「恥宣言」をし、水俣病患者の支援活動に取組んだ新日本窒素労働組合(水俣病原因企業チッソ(株)の企業内労働組合)の活動記録資料を労働組合の解散時に、寄贈を受け、整理、データベース化作業を進めている。資料目録は当センターホームページで公開している。また、資料画像や写真画像など順次ホームページに公開している。

TOP >  各地の公害資料館 >  熊本大学文書館

熊本大学文書館水俣病

熊本大学文書館

熊本大学文書館

施設の概要

本館では「水俣病」に関する資料を公開しています。「水俣病」は1968年政府(厚生省)により、メチル水銀化合物による中毒性の中枢神経系疾患であり、チッソ株式会社水俣工場の廃水に起因する公害病である、と認定されました。メチル水銀を含む工場廃水は1932〜68年という長期間流され続け、「魚(いお)湧く海」と呼ばれる豊かな漁場であった水俣湾と不知火海(八代海)を汚染しました。海の魚介類にメチル水銀が濃縮蓄積し、これらの魚介類を食した地域住民にメチル水銀中毒の症状が現れ始めます。そして、チッソ附属病院長・細川一が水俣保健所へ患者発生の報告を行った5月1日(1956年)が「水俣病」公式確認日とされ、1992年以降毎年同日に水俣病犠牲者慰霊式が開催されています。
「『水俣病』は終わっていない」という言葉がよく聞かれます。いま現在も、メチル水銀中毒の症状や社会経済的影響に苦しみながら生活されている方々がいらっしゃいます。広域に渡る被害の全容が明らかにされない中、認定義務付けや国・県・原因企業に賠償を求める訴訟が複数係争中であり、地域名を冠した「水俣病」という呼び名をめぐっても意見が交わされ続けています。アーカイブズ領域では、映像や音声を含む多様な資料の保存と未来へ向けた利活用に多くの課題が残されています。山積みの課題を解決しようと、多くの関係者が連携しながら各取り組みに尽力し続けています。

この資料館だからこそ学べる特徴

本館ウェブサイトで目録公開中の所蔵資料の閲覧・撮影複写・貸出し、および所蔵資料に関するレファレンスと展示を行っています。チッソ水俣工場の廃水を原因とするメチル水銀中毒事件の概観を知ることはもちろん、詳細な事件史研究に資する資料を提供しています(公害の被害者/患者・行政・市民団体・支援者等の活動の記録等)。公開資料はどなたもご利用できますが、所定の手続きがございますのでまずはお気軽にご連絡ください。
※本館では水俣病関係資料の他に、熊本大学史、熊本地域、免田事件、ハンセン病に関する資料を取り扱っています。

TOP >  各地の公害資料館 >  国立水俣病総合研究センター 水俣病情報センター

国立水俣病総合研究センター 水俣病情報センター水俣病

国立水俣病総合研究センター 水俣病情報センター

水俣病の概要

水俣病は、化学工場から海や河川に排出されたメチル水銀化合物を、魚、エビ、カニ、貝などの魚介類が直接エラや消化管から吸収して、 あるいは食物連鎖を通じて体内に高濃度に蓄積し、これを日常的にたくさん食べた住民の間に発生した中毒性の神経疾患です。
熊本県水俣湾周辺を中心とする八代海沿岸で発生し、始めは原因の分からない神経疾患としてあつかわれていました。その後新潟県阿賀野川流域においても発生が確認されました。
水俣湾周辺の水俣病については、昭和31年(1956)5月、初めて患者の発生が報告され、その年の末には、52人の患者が確認されました。 この疾患は昭和32年(1957)以降「水俣病」と呼ばれるようになりました。
阿賀野川流域の水俣病については、昭和40年(1965)5月に患者発生が報告され、その年の7月には26人の患者とそのうち5名の死亡が確認されました。 水俣病患者の認定は、公害健康被害の補償等に関する法律に基づき関係各県の知事および国によって行われます。

この資料館だからこそ学べる特徴

国立水俣病総合研究センターを母体としているため「水銀研究」、「世界の水深汚染問題」について充実した展示を行っています。

また水俣病発症のメカニズム、水俣病の原因究明、原因究明に至るまでの様々な研究などの紹介にも力を入れています。

隣接する水俣病資料館、熊本県環境センターと3館で連携し、一帯を「まなびの丘」として、公害・環境学習における各種協力の取り組みを行っています。

TOP >  各地の公害資料館 >  水俣市立水俣病資料館

水俣市立水俣病資料館水俣病

水俣市立水俣病資料館

熊本水俣病の概要

1908年に水俣に進出したチッソ(当時は日本窒素肥料株式会社)が、1932年からビニールの原料になるアセトアルデヒドの生産を始め、その生産工程の中で、強い毒性を持つメチル水銀を発生させ、工場排水に混じり海に流されました。水俣病はメチル水銀によって汚染された魚や貝を多食することによって起こる水銀中毒症です。チッソによるアセトアルデヒド生産量が増えるにつれて、海の汚染が進み、1950年代には猫が狂い死にしたり、鳥が海に落ちてくるなどの異変が見られるようになりました。そして、1956年に、人間にも原因不明の病気が発生していることが初めて確認されました。その頃は「奇病」といわれ「伝染病」の疑いもあって差別的な扱いを受けるなど患者は大変辛い思いをしました。

その後、加害者と被害者が共存するまち「水俣」は、水俣病をめぐる様々な対立が生まれ、患者の健康被害のみならず、地域の疲弊を生み、解決を見出せない時代が続きました。そして、様々な裁判に加え、二度にわたる政府の救済策が実施されましたが、現在も全面的な解決に至っていません。

この資料館だからこそ学べる特徴

・熊本水俣病の歴史と教訓を分かりやすく展示しています。
・資料館スタッフによる展示解説を行っています。
・水俣病患者及び患者家族が語り部講話を行っています。貴重な体験や水俣病に対する想いなどを聴くことができます。(10名以上の団体が対象)
・学校の公害学習、環境学習、人権学習などの課外授業や修学旅行を受け入れています。