熊本水俣病の概要
1908年に水俣に進出したチッソ(当時は日本窒素肥料株式会社)が、1932年からプラスチックなどの化学製品の原料になるアセトアルデヒドの生産を始め、その生産工程の中で、強い毒性を持つメチル水銀を発生させ、工場排水に混じり海に流されました。水俣病はメチル水銀によって汚染された魚や貝を多食することによって起こる水銀中毒症です。チッソによるアセトアルデヒドの生産量が増えるにつれて、海の汚染が進み、1950年代には猫が躍るように飛びはねたりした末に死んでしまったり、鳥が海に落ちてくるなどの異変が見られるようになりました。そして、1956年に、人間にも原因不明の病気が発生していることが初めて確認されました。その頃は「奇病」といわれ「伝染病」の疑いもあって差別的な扱いを受けるなど患者は大変辛い思いをしました。
その後、加害者と被害者が共存するまち「水俣」は、水俣病をめぐる様々な対立が生まれ、患者の健康被害のみならず、地域の疲弊を生み、解決を見出せない時代が続きました。そして、様々な裁判に加え、二度にわたる政府の救済策が実施されましたが、現在も全面的な解決に至っていません。
この資料館だからこそ学べる特徴
・水俣病の歴史と教訓を分かりやすく展示しています。
・水俣病患者及び患者家族などによるが語り部講話を行っています。貴重な経験や水俣病に対する想いなどを聴くことができます。(10名以上の団体が対象)
・学校の公害学習、環境学習、人権学習などの課外授業や修学旅行を受け入れています。
・今の水俣の海を伝える写真の展示も行っています。